モンゴル襲来と鎌倉幕府滅亡
はじめに
皆さんこんにちは!歴史の授業が苦手な方も安心してください。
今日は中学校の歴史の定期テスト対策をしっかりとサポートします。
気軽に質問してね!
1. チンギスハンとモンゴル帝国
生徒: 塾長先生、チンギスハンってどんな人物なんですか?
塾長: おお、いいね。チンギスハンは12世紀にモンゴル高原で生まれ、
モンゴル帝国を築いた偉大な指導者さ。
彼の本名はテムジンだったんだよ。
モンゴル帝国は彼の死後、息子たちによって拡大され、
世界史上最大の帝国の一つとなったんだ。
2. フビライハンと元
生徒: モンゴル帝国ってどうなったんですか?
塾長: 良い質問だね。モンゴル帝国はチンギスハンの孫、
フビライハンの時代に大元と呼ばれる支配体制に変わったんだ。
この時、中国では元と呼ばれる時代が始まり、元朝(げんちょう)とも呼ばれるよ。
3. 元の支配下の国々
生徒: 元ってどの国を支配していたんですか?
塾長: そうだね。元は中国だけでなく、
宋(そう)や高麗(こうらい)なども支配していたよ。
さらに、シルクロードを通じてイスラム教徒の
イスラム商人も元の領土にやってきて、文化の交流が盛んになったんだ。
4. マルコポーロとジパング
生徒: マルコポーロって誰ですか?
塾長: マルコポーロはイタリアの商人で、元の時代に中国に滞在していたんだ。
彼は『東方見聞録』という本を書いて帰国し、
その中には「ジパング」として知られる日本についての記述もあるんだよ。
5. 北条時宗と文永の役
生徒: それで、日本ではどうだったんですか?
塾長: 日本では北条時宗が当時の鎌倉幕府を率いていました。
モンゴル帝国は日本にも進出しようとし、
その結果が文永の役(ぶんえいのえき)と呼ばれる戦いなんだ。
これは元号の「文永」にちなんでいるよ。
6. 弘安の役と元寇
生徒: そして、次はどうなったんですか?
塾長: その後、日本に再度の襲来がありました。
これが弘安の役(こうあんのえき)で、総称して元寇(げんこう)と呼ばれているんだ。
北条時宗は奮戦しましたが、結局は元軍の撤退に成功したんだ。
7. 徳政令と後醍醐天皇
生徒: 鎌倉幕府ってその後どうなったんですか?
塾長: いい質問だね。元寇の後、幕府は戦費調達のために
徳政令を出すものの、経済的な混乱が続きました。
その中で鎌倉幕府は次第に衰退し、後醍醐天皇が政権を奪回する動きが始まったんだ。
8. 楠木正成と足利尊氏
生徒: 後醍醐天皇が奪回したってどうなったんですか?
塾長: 後醍醐天皇は楠木正成などを中心に挙兵し、
鎌倉幕府に対抗しようとしましたが、結局は敗れてしまったんだ。
その後、新たな武家政権を築いたのが足利尊氏で、これが室町時代の始まりとなったんだ。
テスト問題
さて、鎌倉時代のモンゴル襲来と鎌倉幕府滅亡についてしっかり学びましたね。
では、最後にテスト問題を出して、解答と解説も行いましょう。
- モンゴル帝国の指導者で、モンゴル帝国を築いた人物は誰か。
- モンゴル帝国の指導者チンギスハンの孫で、元朝を築いた人物は誰か。
- モンゴル帝国はどの国を支配していたか、少なくとも2つ挙げよ。
- イタリアの商人マルコポーロが元で滞在し、帰国後に著した本は何か。
- 鎌倉幕府の北条時宗が率いて元軍と戦った襲来事件は何か。
- 元寇とは何か。具体的な戦いの名称も挙げよ。
- 鎌倉幕府が戦費調達のために出した政策は何か。
- 後醍醐天皇が政権を奪回する動きを見せた時代は何か。
- 後醍醐天皇に仕えた武将で、後に南朝の指導者となったのは誰か。
- 鎌倉時代の武士政権を滅ぼし、室町時代を開いた人物は誰か。
テスト問題の解答と解説
- チンギスハン。彼はモンゴル高原で生まれ、モンゴル帝国を築いた。
- フビライハン。モンゴル帝国の指導者で、元朝を築いた。
- 中国(宋)、朝鮮半島(高麗)など。
- イタリアの商人マルコポーロが元で滞在し、帰国後に著した本は『東方見聞録』。
- 文永の役。これは元号の「文永」にちなんでいる。
- 元寇は、元の軍勢が日本に侵攻する出来事を指し、その中でも弘安の役が具体的な戦いの名称。
- 徳政令。これは戦費調達のために特定の物品を国に献上させ、その代わりに徳政と呼ばれる政策を行った。
- 建武の新政。後醍醐天皇が政権を奪回する動きを見せた時代。
- 楠木正成。後醍醐天皇に仕え、南朝の指導者となった。
- 足利尊氏。彼が新たな武家政権を築き、室町時代の始まりとなった。