武士による政権と執権政治
【武士による政権と執権政治】
生徒:塾長先生、武士による政権とはどういうことですか?
塾長:いい質問です!実は、日本の歴史において、
平安時代後期から鎌倉時代にかけて、武士たちが政治を主導する時代がありました。
それが「武士による政権」と呼ばれるものなんです。
【鎌倉時代の始まり】
生徒:鎌倉時代って、いつからいつまでだったっけ?
塾長:鎌倉時代は1185年から始まり、1333年まで続きました。
この時代は、源頼朝が鎌倉に鎌倉幕府を築いたことで始まります。
【源頼朝と平氏の滅亡】
生徒:源頼朝と聞いたことがあります!彼が鎌倉幕府を築いたんですよね?
塾長:その通りです!源頼朝は鎌倉に幕府を築き、御家人と呼ばれる武士たちを統制しました。
そして、1185年には壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼし、彼らの政治的な勢力を排除しました。
【頼朝と義経の対立】
生徒:壇ノ浦の戦いってどんな戦いだったんですか?
塾長:壇ノ浦の戦いは、頼朝の弟である源義経との対立が決定的となった戦いです。
この戦いの後、頼朝が兄弟の関係を解消し、義経は追われることになりました。
【鎌倉幕府の政治体制】
生徒:鎌倉幕府の政治体制ってどうなっていたんですか?
塾長:鎌倉幕府では、執権という職が設けられました。
執権は実質的な政治を行う役職であり、最初の執権は頼朝自身が務めました。
後に、北条時政や北条氏が執権となり、幕府の実権を握るようになりました。
【承久の乱とその後】
生徒:鎌倉時代には他にも何か大きな出来事があったんですか?
塾長:そうですね、鎌倉時代の終わりには承久の乱が起きました。
1221年に後鳥羽上皇が幕府に対して反乱を起こしましたが、北条氏の軍勢によって鎮圧されました。
この乱の後、北条氏がますます権力を強め、政治の中心になりました。
【六波羅探題と御成敗式目】
生徒:鎌倉幕府の政治の中心となった北条氏は、どのように朝廷を監視していたんですか?
塾長:北条氏は京都を監視するために六波羅探題という機関を設置しました。
六波羅探題は京都の治安維持や朝廷の監視を担当していました。
また、鎌倉幕府が制定した御成敗式目という法令がありました。
これは武士たちの行動や裁判の基準となるものでした。
【まとめ】
塾長:以上が鎌倉時代の武士による政権と執権政治の要点です。
この時代は武士の力が強まり、封建社会が形成されました。
北条氏の勢力が拡大し、幕府の政治の中心になったことも特徴的ですね。
【問題】
鎌倉時代は何年から何年まで続いたか答えなさい。
壇ノ浦の戦いで平氏はどのような結末を迎えたか答えなさい。
頼朝と義経の対立を決定づけた戦いは何と呼ばれるか答えなさい。
鎌倉幕府が京都を監視するために設置した機関は何と呼ばれるか答えなさい。
鎌倉幕府が制定した武士たちの行動や裁判の基準となる法令は何と呼ばれるか答えなさい。
【解説】
鎌倉時代は1185年から1333年まで続きました。
壇ノ浦の戦いで平氏は滅びました。
頼朝と義経の対立を決定づけた戦いは壇ノ浦の戦いです。
鎌倉幕府が京都を監視するために設置した機関は六波羅探題です。
鎌倉幕府が制定した武士たちの行動や裁判の基準となる法令は御成敗式目です。
【日本の時代】